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 最近大相撲の「八百長」「野球賭博」が大きな話題に成っているが、この片方の「八百長」と言う漢字の語源は何処から生まれたのか興味を持っていた。その「八百長」だが、幸いにも金曜日読売新聞の夕刊に「語源ハンター」(わぐりたかし=放送作家)として八百長の語源が取り上げられていた記事が目に入った。その「語源ハンター」にはこう記されている。


「八百長」の発祥の地は、東京墨田区両国の回向院界隈だ。総武線を挟んで両国国技館の南側にある。明治42年に旧両国国技館が建てられる以前は、このお寺の境内で勧進相撲が行われて

いた。当時、天秤を担いで青物を商っていた「八百長」こと根本長造は、伊勢ノ海親方の囲碁友達と成り、気に入られていた。勝負は互角だが、だいたい、親方が勝ち越していた。
 やがて八百長は、親方の紹介で相撲茶屋の株を手に入れ、行商から脱出し、店を構えて繁盛する。そんなある日、親方の家の前に碁会所が出来、本因坊と八百長が対局した。
 たまたまそれを見た親方が憤然とした。最高峰の本因坊と八百長が好勝負だったのだ。つまり親方が相手の時は、ご機嫌を取る為に手加減して適当に負けていたというわけ。ここから「八百長」という言葉が誕生した。



 この文章を目にした時、何で語源が八百屋と関係があるのかを理解する事が出来た。それも両国国技館近くの回向院と相撲との掛り合いのある「八百長」という語源に何か因縁めいたものを感じた。


 台東区谷中に、ランナーに人気の延壽えんじゅ寺がある。鉄の草鞋や草鞋が打ち付けられた奉納絵馬で有名だ。この寺で、「八百長」と銘記された奉納額を見付ける事が出来るとのこと。
 一度是非訪れたいものと思った。 福嶌シロシ 記