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(一部の写真はクリックすると拡大)(写真撮影:大野義輝)

 松苗会長の御挨拶越谷歴史散策クラブ主催の「第4回越谷歴史散策〜越谷から北越谷へ〜」が3月30日(月)開催されました。身近な地元の一寸した歴史を知りたい知的好奇心に溢れた歴男・歴女、且つ、歴史散策の後に、桜花の下で喉を潤しながら談笑を楽しみたい面々39名が出発地の越谷駅に集合。晴れて暖かく絶好の散策日和になった幸運に感謝しながら、予定通り9時半に出発しました。
 越谷駅東口ロータリーの島の中で、東武鉄道の歴史や「越ヶ谷」と「越谷」の違いを、更に、八幡神社の境内で、 越ヶ谷宿の成り立ち・制度を勉強。車の往来の激しい日光街道を長い一列になってびくびくしながら歩き、越谷雛人形の歴史、数少なくなってきた古民家・古い店蔵のたたずまい、不動産会社に売却された古民家・蔵が壊され宅地造成中の土地、同じく不動産会社に売却されその活用方法(壊すかor保存するか)検討中の古い店蔵つくりの建物などを見て歩きました。経済性・合理性だけで街作りをしてよいのか、いろいろと考えさせられます。
 徳川最後の将軍徳川慶喜がその罪を許され、公爵となって、明治33年に鷹狩りに越谷に来ています。狙った獲物は鶴!115年前の越谷は自然いっぱいの美しい土地だったということですね。
 大沢町は旅籠の町といわれ、江戸時代末には旅籠が55軒もあり賑っていましたが、一方では、照光院は大沢小学校発祥の地であり、師匠が亡くなった時その遺徳を偲んで教え子たちが建てた「筆子塚」が2基も並んで立っており、教育熱心な土地柄を示しています。光明院の塩かけ地蔵は、霊験あらたかな地蔵として、広く信仰を集め、満願のつど頭から塩を供えられたので、石が溶けて上半身がほとんどなくなってしまった珍しい地蔵、香取神社奥殿の彫刻、特に紺屋の労働作業という民俗資料として貴重な彫刻を見学して、予定通り12時半に越谷歴史散策は終了しました。
 第二部は花見です。途中のスーパーでそれぞれお好みの弁当・つまみ・ビール等を仕入れ、神明橋近くの元荒川土手に行きましたが、月曜日にもかかわらず、予想以上の人出で驚きました。満開に近い桜花の下、約30名が車座になって喉を潤し、食べ、談笑して2時間ほど大いに楽しみ、流れ解散で第二部も無事終了となりました。


                            記事:藤川吉洋


 浅間神社、ケヤキの木のように元気をあやかろうと、みんなで輪になり木を囲んであげました。木の心臓が伝わってきたことでしょう。元気で皆さんを守ってくれることは間違いありませんよ・・・!