3月11日の大震災以来、世の中が何やら変わって、モヤモヤした不安の中にいる。
「一寸先は闇だぞ」とささやく声が聞こえる。
一瞬の内に、何万人もの命が、愛も夢や希望も、人生を懸けて築いた財産も消えたのだ。
未曾有の巨大津波。それに続く状況を「戦争みたいだ」と思ったのは琴嶺だけだろうか。
イヤ戦争はもっと、悲惨で最悪なのだ。
自分はまだまし我慢だと「足るを知る」精神。日本再復興!その為に、戦争以外で心一つに纏るのは悪い事ではない。
今は芸術や娯楽どころじゃないよと、自粛中止の多いこの頃だ。震災後の惨状を見れば、仕方が無いとも思える。しかしすべてが薄暗く、贅沢は敵だと、坂道を転がり落ちる不景気風には、先行きの不安が湧いてくる。
自らの意思で最大限の節約。身分相応の義援金は当然だが、お上の自粛命令、右へならえで、あっち向けホイはいただけない。
大震災後しばらくは講談の席も講談塾も、太極拳や座禅会迄、次々中止で気が滅入った。
時々異様な鳴物入りで警報アナウンスが「これから激しい地震がきます」と繰返す。慌てて柱に掴まり、重い瓦の天井を見る。なにしろ安普請、築40年のボロ屋なのだ。機械の故障で情報が不正確、空振りの事もある。夜中だとことに辛く、恐怖が増大する。
飛び起きて着替えるか、そのまま待機か判断。なにしろ雪でも舞おうという寒空なのだ。
折しも娘と温泉デートの予約、ホテルから電話。キャンセル料は取らない。系列ホテルのお客を一纏めにして受け入れるとの連絡だ。
東京の反対側に住む娘は、交通網が滅茶苦茶で行く気がしないとの事。私にとってこの状況から逃げ出すチャンス。山用ザックには面白そうな本や講談台本を欲張って詰込み、鈍行電車で長期戦の覚悟。勿論車内の弁当飲物持参だ。いつもは直通なのに乗換3回、4時間余りでやっと到着。日曜祭日の観光地が、店はシャッターを下ろし、周辺の大きなホテルも休業なのか窓が真っ暗。
館内は節電で薄暗く、停電になればエレベーターも使えず、大浴場も入れない。連休で電力不足解消なのか、計画停電が突然中止。
避難所被災者の苦労に後ろめたい気がしたが、疎開をして心身が癒された。
観光客が絶え、沢山のホテルが休業状態では、日本経済お先真っ暗ではないか。